prisondiary’s blog

鬱病&クレプトマニアのボクが刑務所からの日記をお届けしています。

11月15日&11月16日

 14時30、親父が面会に来てくれた。そして今、起こっている現状を知る。保釈の却下が2回あったこと。もう保釈は叶わないであろうこと。それが本当なら、もう外には出られない事になる。保釈される前提で動いていたボクは、何も、ホントに何も準備していない。このまま刑務所はあまりにもムゴイ。信じられない....。最後の最後の局面で、弁護士にダマされる形となった.....。ある程度、覚悟を決めて対処していかなければならないかも。食料が買えたので、チョコレートを2枚、注文した。気がおかしくなりそうだ。

 

 

 便箋やペンなどの日用品を購入したいが週1回、金曜日のみと知る...。少しずつココのシステムを理解してきた。8時30に風呂。月曜にも入ったし、先週金曜にも入ったから週に3回入浴なのだろうか?月火金かもしれない。15時30にAさんが面会に来てくれた。初面会嬉しかった。連絡が取れない友人、知人に何とか連絡を取ってもらうよう依頼する。事前に準備が出来ていれば連絡先一覧などを持ち込めたというのに...。判決はしょうがない、保釈が結果的に却下になったことも誰が悪い訳でもない。でも、「必ず保釈されます。」としか説明しなかった弁護士OさんとKさんは確実に落ち度があるはずだ。〝可能性〟と〝その対策〟の話は全くしなかった。そここそが弁護士の仕事だというのに。Aさんより、明日、弁護士が来ると聞く。何を話すのだろうか?オトナにならなければ。部屋トレーニングでラン&ボクササイズ30分、腕立て45分、ストレッチをやった。開脚でもできるようになろうかな!

 

 

11月14日

 朝イチで弁護士にFAX、面会を依頼。弁護士も親父もAさんも「保釈却下」になったことは知っているはず。であれば平日の今日、誰か面会に来るはず...と思って待ち続けたが誰も来ず....。何が起こっているんだ??気が狂いそうだ。何かトラブっているとしても弁護士が全力を尽くしてくれていることを祈る。夜は安定剤と睡眠薬を飲んでいるのでとりあえず眠れる。食事も留置所のメシを知っていると全然食べられる。気を紛らわせる為にも、本や雑誌が欲しい。「官本」といって、部屋に入った時に置いてあった本を読むしかない。中村江里子『女皿世代ひとつ屋根の下』というエッセイを読む。中村さんは大学の先輩だ。こんな些細なつながりで少し気が安らぐ。

 今夜は眠れるだろうか??途中で起きてしまわないことを願う。ポジティブなことを考えよう。そして体を動かそう。部屋でその場で足踏みをしながらのランニングを25分。腹筋30回、腕立て25回、グランジ60回、シャドーボクシング5分くらいやる。部屋が寒いが、体を動かして窓が白く曇った。ここ暖房とか入るのだろうか?

11月13日

 拘置所での生活4日目。なんか慣れてきてしまっているが、何とかしなければという思いは強い。留置所と違って、弁護士にすら週に1回、FAXでしか連絡できないらしい。明日、弁護士にFAXするのが最優先だ。外の皆はどうなっているのか?親父、M、Aさん、心配してるか?状況を分かっているのか?それとも何も知らないのか?一体、ボクの身に何が起こっているのか?何も準備していないのが悔やまれる。どうすればいい?

11月12日

 眠剤を飲んだからか、眠れたようで少し安心した土曜日。土日は保釈はないだろう、週明け月曜日に解放されるはず!と希望を繋いでいたが、午後になり「保釈却下」の決定書類が渡される....。そういうことか.....。このまま拘束されたままだとマズい。何も準備、用意しておらず、かなりヤバイ。通常、刑務所に行く人は、事前にこれでもか、とと必要な荷物を持ち込むのだ。着替えや日用品、様々な外への知人への連絡に必要な住所録や連絡メモ、書籍や文房具、もちろん現金に至るまで。持ち込み可能な限り、持ってきてOKなのに、ボクはリュックひとつでほぼ何も持たずに来てしまったのだ。何とかしないとだが、手は限られる....。弁護士のkさんとoさんは何をしているのか?気がおかしくなりそうだが耐えるしかない....時々、ラジオが聴けるのが気が紛れて助かる。夕方に田中みな実の番組とかやっていた。何か体を動かそうと思って少しストレッチをしてみた。

 

『収監1週間目』11月11日

 あまり眠れなかったが、明け方うとうとして7時に起床のチャイムが鳴る。なんだか留置所を思い出して気が滅入る。すぐに点検という点呼、自分の呼称番号を言う。そして朝食。食欲なんてない。そのままじれじれと不安なまま待ち、9時過ぎに風呂と言われる。そうだ、昨日から風呂に入っていなかった。留置所では5〜6人一緒に入る式の風呂で嫌だったが、ここでは個室の風呂場。助かる。時間は「15分」と言われる。「遅くとも次の日には保釈」と断言されていたが、不安なまま待つ。いつまで経っても保釈されず、18時を過ぎたあたりで絶望に変わる。今日までに連絡すると約束をした人が何人もいる。Yさん、Aさん、もちろん彼女のMも...

裏切ってしまった。また。どうなっているんだ、という焦りばかり募る。眠れないしアタマがおかしくなりそうなので、安定剤と睡眠薬をもらう。以前から飲んでいたクエチアピン100mg

と初めて飲むベルゾムラ。今夜は眠れますように。

 

 

 

〜ボクの判決が出た日〜 11月10日

 彼女の家で7時に起床。とりあえず黒Yシャツに黒ズボン、黒いジャケットという黒ずくめで黒いリュックをひとつ持って7時30分に出発する。まだ寝ている彼女に「行ってくるね。今日か、遅くても明日には帰るから。」とだけ告げて気軽に出た。住んでいたマンションの鍵を不動産屋に返却したりして11時過ぎに池袋のお気に入りの定食屋「美松」で昼飯。12時に親父と待ち合わせして霞ヶ関の裁判所へ向かう。裁判所ではR弁護士法人のボクの主任弁護士Oさんより「今日は、もし実刑になってもすぐに保釈になるので、その書類を仕上げますね。」と書類2枚にサインと押印。そのまま法廷へ。法廷前には友人のMさん、社会福祉士のYさん、O弁護士の上司のK先生も来ていた。13時30分、開廷。判決は「懲役1年10ヶ月」と言い渡される。傍聴席に見知らぬ男が2人いたが、閉廷するやいなやボクを拘束し、法廷の裏にある廊下に連れて行き、手錠をかけられる。そのまま検察庁へ。検察庁の狭い部屋の長イスでずっと待たされる。不安もあるが、この辺は想定内だ。弁護士からは「検察庁に連れて行かれますが、そこで待っている間にこちらで保釈手続きをして、そこで保釈になります。」と説明されていた。早く早くと待つが、2時間経っても解放されない。。。

 

 

16時頃、「じゃ出発」と言われ、車に乗せられると東京拘置所に連れて来られた。かなり不安になったが、「最悪でも次の日には保釈されるので」とK弁護士から言われていたので、まぁ気軽さもあり。でも焦る。だだっ広い部屋で荷物チェックや身体検査、何度も質問を繰り返される。リュックの中には1日分の着替えくらいしか入っていない。時計がないので時刻は分からないが、すでに18時くらいか?身体検査は最終的に全裸にさせられる。そして黒いキャリーケースをもらい、部屋に持って行ってOKな服などと共に部屋に案内される。警察署の気遣いじみた号令や扱いを知っていると、それよりかなりマイルドな印象の刑務官。ドアの前やエレベーター前などで一度停止した際には必ず白いラインの内に入り、、壁の方を向いていろと命令される。D棟7階の53号室となる。すぐに夕飯が出て食べろと言われるが、システムがよく分からないし食欲もあまりない。なんだか、どんどん絶望感が襲ってくる。なんか取り返しがつかない事になっている気が、ここに来てようやく実感してくる。だけど明日になれば大丈夫、保釈が待っている!とりあえず今日をやり過ごせばいいんだ。

刑務所diary

はじめにーFORWORDー

 

 ボクは2020年頃まで、俳優・声優・ナレーターなどの仕事をしていた。大学時代にラジオDJ になり、そのままTV局などの内定を辞退してプロダクションに所属し、芸能活動をしていた。そんな俳優生活の中で、徐々に精神的に不安定になっていった。最初は不眠だった。仕事でのストレスに加えて、事務所を辞めてフリーランスになる過程での様々なパワハラや裏切りがかなり効いてしまったようだ。眠れなくなり、起きていても頭痛がして、視界が揺れたり、脱水症状っぽくなることが多くなった。次第に睡眠薬を飲まないと眠れなくなり、それでも起きてしまう夜はお酒を飲んで眠ったりしていた。仕事のストレスだけではなく、プライベートでの不幸も重なり、心の乱れはどんどん大きくなって、2020年のコロナ禍でボクは一気に壊れていったように思う。夜、全く眠れずに体調がおかしくなって、頻繁に動悸が止まらなくなり、涙が流れてたりすることが続いた。「消えてなくなりたい」絶望的な気分の落ち込みもひどくなり、自分でもやばいと思うようになった。そんな絶望感を紛らわせるために、ボクはいつしか浴びるようにお酒を飲むようになった。不眠・飲酒・過食がひどくなり、「オレ、何のために生きているんだろう」みたいな虚無感がいつまでも頭から離れなくなった。ついに体調は最悪といっていいほど悪くなって、日によっては体が動かないし何もできない。倦怠感もひどくて、やっと起きると過食嘔吐を繰り返して、突然、悲しくなって泣いた。夜には泥酔していて記憶はない。気づけばまた朝が来ていて、絶望感とともにコンビニでパンとお酒を買ってまた飲んで食べて吐いた。

そんな時、事件を起こした。

2020年7月、ボクは窃盗罪で逮捕された。万引きだった。裁判で懲役2年、執行猶予3年となった。今から考えると初犯でかなり重すぎな判決だと思うが、当時のボクはそれほどおかしくなっていたように思う。それから半年ほどして、また万引きで捕まった。万引き後、店の外でボンヤリしている所を取り押さえられ、1ヶ月の留置後、保釈されてすぐに、またコンビニで万引きをして逮捕となった。留置所で面会した弁護士が言った「君はクレプトなんじゃないのかな?」初めて効いた言葉だった。『クレプトマニア』日本語では『窃盗病』。依存症のひとつで、ギャンブル依存症・性依存などと同じ“行為依存”の精神疾患だ。弁護士の勧めで、その道で有名な大学病院の精神科に入院し、病名が正式に診断された。「重度の“うつ病”、および“病的窃盗症”」。2021年10月、保釈されたボクは仕事を全て辞め、精神科での診断と、依存専門のクリニックでの定期的なデイケアを受けることになった。裁判では、うつ病と窃盗症からの行動として再度の執行猶予を争うことになった。入院、カウンセリング、グループミーティング、運動療法、薬物治療などを受けながらの裁判は1年続いた。

 しかし、2022年11月10日、ボクには実刑判決が下り、執行猶予取り消しも含め、計3年10ヶ月の懲役が課せられることとなった。弁護士からは「もし実刑判決でも、当日には保釈されるするようにするので安心して。」と言われて身一つで公判に行った。だが、保釈は叶わず、東京拘置所に移送され今に至っている。まさか、ボクが獄中に行くことになるとは思ってもいなっかった。

 すぐそこにあるけど、誰も本当のことは知らない塀の中。古くはオスカー・ワイルドの『獄中日』や、新しくはホリエモンの『刑務所なう』ではないが、これは外から見えない塀の中で一体何が起こっているのか?ムショでの暮らしとは?別世界の謎を、ボクが実体験しながら綴っていく日記となるだろう。

どんな刑務所ダイアリーとなるのか?当のボクも皆目分からない。でも、読んで頂ければ近くて遠い、冷たい壁の向こう側を分かってもらえるはずだ。

そしてこの日記は精神化の診断さえ受けられないボクの、ボク自身によるカウンセリングの記録であり、セラピーにもなると信じている。そう、ちょうどイギリス留学で精神を病んだ夏目漱石が『吾輩は猫である』を書くことが心の治療になっていったように。

 

願わくば、タイトルに謳ってしまっているので、どうか途中で挫折せず、毎日続けられますように。それからもうひとつ、1日でも早く、このダイアリーが終わりを迎えられますように。

                   2022年12月10日 東京拘置所にて

現代 刑務所の作法

参考文献

 

『現代 刑務所の作法』河合幹雄監修(株式会社G.B)

『刑務所の謎』知的発見!探検隊著 (イースト・プレス)

『完全ムショ暮らしマニュアル』北代司著(kkベストセラーズ)

『刑務所なう完全版』堀江貴文著(文春文庫)

 

刑務所の謎

誰も教えてくれない 完全ムショ暮らしマニュアル